龍頭山 光明院 / 四国八十八ヶ所霊場 第26番札所

金剛頂寺

金剛頂寺

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絹本著色弘法大師像

主な寺宝

金剛頂寺霊宝殿 こんごうちょうじれいほうでん - 二度の大火によって伽藍を焼失した経験から、寺宝を後世に伝えるため、耐火性に優れた鉄筋コンクリート造りで建立した。本瓦葺き。昭和34年(1959年)に落慶法要を行った。重要文化財7点、室戸市文化財1点のほか、平安朝古器、仏具、仏画、古文書など50点あまりを有する。

木造
阿弥陀如来坐像
もくぞうあみだにょらいざぞう - 天人の善悪を見て無上の願を発し、四十八願を成就して、今なお西方極楽浄土で教えを説く阿弥陀如来。上品上生(じょうぼんじょうしょう)の定印(じょういん)を結び、頭部は丸く盛り上がり、螺髪(らほつ)が美しく並んでいる。ふくよかで穏やかな表情である。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来を刻んだ仏師定朝(じょうちょう)の様式を引き継いだ王朝好みで気品のある阿弥陀如来である。像高は88センチ、寄木造り、平安時代のものである。

銅造
観音菩薩立像
どうぞうかんのんぼさつりゅうぞう - 一切衆生(いっさいしゅじょう)の世を観察し、その苦を救うことが自在である観音菩薩。三面の飾冠(しょくかん)を戴き、左手を折り曲げて右手で水瓶(すいびょう)を持っている。金銅仏は7、8世紀に貴族たちの念持仏として盛んにつくられた。その姿や体勢から飛鳥時代後期の古式を示している。四国では古代の金銅仏は、釈迦誕生仏を除くと極めて少なく、貴重な仏像である。総高は29センチ、鍍金(ときん)を施していたが現在は確認できない。

真言宗の根本経典 大毘盧遮那経(だいびるしゃなきょう・大日経・だいにちきょう)と金剛頂経(こんごうちょうきょう)は、真言宗の根本経典である。この大毘盧遮那経七巻と金剛頂経三巻は、ともに平安時代初頭のもので、二経十巻揃った写本は日本最古。書風は大師流の筆法が見られる。

大毘盧遮那経七巻 だいびるしゃなきょうななかん - この大毘盧遮那経には、真言宗を伝えた真言八祖(しんごんはっそ)の第六祖一行(いちぎょう)の原本を書き写したと後書きにある。空海が久米寺東塔で発見、奥義を極めるため入唐を決意したきっかけとなった経典である。この経典をわかりやすく図解したものが胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)である。

金剛頂経三巻 こんごうちょうきょうさんかん - 真言八祖の第四祖不空(ふくう)がセイロンから唐に持ち帰ったが、全部を漢訳せずに没した。空海をはじめ円仁、円珍などが唐より請来。金剛頂経をわかりやすく図解したものが、金剛界曼荼羅である。

空海が請来目録(しょうらいもくろく)に入れなかった物の行方

唐から持ち帰った物の目録を朝廷に提出したとき、空海は大日経を外している。その理由を頼富本宏氏は著書『空海と密教』のなかで、「『大日経』不請来の謎」として次のように述べている。

「まず考えられるべきは、やはり『大日経』や『大日経疏』(だいにちきょうしょ)は意識的に請来しなかったという判断である。両者とも数十年前には日本に伝わっていた。伝記では、読むことはできたが、内容まで理解できず、教えられる人もいなかったということだが、それだけ思い込んでいた経典だとしたら、『請来目録』で無視した態度はやや不可解である」という。
さらに、「意識的に目録から外していわゆる『録外』とし、自分の手もとに置こうとしたという推測も成り立つ」。その理由は、「提出後国有化されることを危惧してか、たいせつなもの、常用するものは逆に目録から外したと考えることもできる」という。

それでは、空海は、その大切なものをどこに置いたのだろうか。金剛頂寺にある寺宝の数々は、その謎を解く鍵になるかもしれないのである。

板彫真言八祖像

いたぼりしんごんはっそぞう - 多宝塔の塔内壁面にあった真言八祖像である。鎌倉時代の嘉暦2年(1327年)に、大仏師法眼定審(ほうげんじょうしん)によってつくられた。願主は、金剛頂寺と最御崎寺(ほつみさきじ)の住職を兼務した龍圓(りゅうえん)である。二度の大火を免れて今に伝わっている。

高さは86〜88センチほど。檜の板に浮彫りされ、着色されている。保存状態も良く、わずか1センチほどの薄い浮彫りとは感じさせないほど奥行きがあり、立体的である。インド僧の法衣には黒い条が目立ち、左手で袖先をつかんでいる。不空、一行、恵果、空海の僧衣は、柄もなく簡素なものである。

なお、大仏師定審の名は、神奈川県の称名寺(しょうみょうじ)にある清涼寺式釈迦如来像に大仏師法印(ほういん)院保に従った仏師として記されている。鎌倉時代後期に活躍した院派(いんぱ)仏師である。

密教を伝えた真言八祖

密教の教義を伝えた7名の祖師に空海を加えて真言八祖と(しんごんはっそ)いう。インド僧は龍猛(りゅうみょう)、龍智(りゅうち)、金剛智(こんごうち)、善無畏(ぜんむい)。不空は西域の僧、中国の僧は一行(いちぎょう)、そして空海へ金剛界、胎蔵界の教義を授けた青龍寺(しょうりゅうじ)の恵果(けいか)である。龍猛は、金剛薩埵(こんごうさった)から密教の教えを授かり空の概念を広めた僧である。龍智は龍猛から教えを授かり、金剛智はインドから中国に入り、金剛頂経系の経典を訳し広めた。不空は中国で金剛智の門下に入り金剛頂経を漢訳。不空が空海の誕生日にあたる6月15日に没したことから、のちに空海は不空の生まれ変わりという伝説を生んだ。善無畏は大日経を翻訳し、一行は善無畏の門下に入り、大日経疏(だいにちきょうしょ)を完成させた。当寺の大毘盧遮那経の後書きにも一行の名を見ることができる。恵果は、空海に密教のすべての教えを授けた僧である。

金銅旅壇具 こんどうたびだんぐ - 平安時代後期の旅壇具としてはわが国唯一のものである。旅壇具とは密教修法(すほう)に使う法具一式を小ぶりにつくり、背負って持ち運びができるようにしたもの。五鈷鈴(ごこれい)、五鈷杵(ごこしょ)、それを置く金剛盤(こんごうばん)、火舎(かしゃ)や六器(ろっき)、華瓶(けびょう)、飯食器(おんじきき)、灑水器(しゃすいき)、塗香器(ずこうき)などを壇上に並べてその左右に燈架を立てた。壇箱のなかには内箱が三箱あり、法具のほかに香薬箱(こうやくばこ)や閼伽桶(あかおけ)、油壺、金剛線、明鏡などが収められている。大きさは高さ約25センチ、幅は約40センチ、奥行は約27センチ。

金銅密教法具 こんどうみっきょうほうぐ - 密教の修法に用いる道具である。修法壇を設け、諸具を配置し、修法を行う。その方法は厳格に決められ、様式も複雑である。この密教法具は49の道具から構成されており、火舎(かしゃ)や六器(ろっき)、華瓶(けびょう)、灑水器(しゃすいき)、塗香器(ずこうき)などは、簡素で薄く仕上げられている。鎌倉時代初期のもので、大壇具としては和歌山県の那智経塚で出土したものに次いで古い。なお、鈴(れい)は重要文化財の指定外だが、めずらしい七鈷鈴(しちこれい)で室町時代後期のものである。

朝鮮鐘 ちょうせんかね - 新羅、高麗時代に朝鮮でつくられた銅鐘で、朝鮮との航路を結ぶ地域に残されている。細部は華麗な文様で飾られている。高知県では唯一の朝鮮鐘で、高さは57センチ、口径43センチ。

絹本著色
弘法大師像
けんぽんちゃくしょくこうぼうだいしぞう - 若々しい顔、右手に五鈷杵、左手に数珠を持っている。京都の教王護国寺(東寺・とうじ)の御影堂にある大師像の構図である。鎌倉時代のもので、縦約107センチ、横55センチ。


絹本著色
五髻文殊菩薩像
けんぽんちゃくしょくごけいもんじゅぼさつぞう - 髪を五つにわけて結っていることから五髻文殊菩薩という。右手に剣を、左手には蓮華を持っている。鎌倉時代のもので、縦約96センチ、横56センチ。